目頭の熱くなったブログ

以下は元航空自衛隊戦闘機パイロットのブログです。
この方は文武両道をゆく、心の機微のわかる退役将軍です。
国家安全保障の大黒柱とし、いつまでもご活躍を願う存在です。

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■二丁目の“太陽”…
今朝の産経新聞には特段取り上げるべきニュースもない。1面トップのNLP訓練基地を鹿児島の馬毛島へ…という記事も、何か胡散臭いものを感じるだけで、軍事知識欠如の政府が同盟国のことを考えて真剣に考えているものだとは思えないから米海軍が応じるはずはないだろう。ルーピー首相がかき混ぜて破たんした第2の普天間基地問題になる公算は高い。

そこで話題のない土曜日だから、前回書こうと思った“古き良き時代の日本”を髣髴とさせる話を書いておこうと思う。

世田谷に住んでいたころ「世田谷のアメ横」といわれる庶民的で人情あふれる商店街が連なる一角があった。今はマンションなどが入り乱れて、当時ほどの活気もないように感じられるが、そのさらに奥まった一角に名代の蕎麦屋さんがある。

大旦那と大女将が美人3姉妹の大家族とともに経営している小さな蕎麦屋さんだが、品数も豊富だから、一杯やりながら気炎を上げる勤め人や近所の住人たちの“たまり場”的存在になっていつも賑わっている。

そばも料理も実に美味だが、何よりうれしいのが家族の温かいもてなしで、特に客の一人一人に挨拶して回る堂々たる大女将の存在は、この店の“名物?”であった。

三軒茶屋に近い太子堂2丁目だから、芸能界などの有名人も客としてよく顔を出すのだが、同席する客も別段特別扱いはしないから、彼ら彼女らも気兼ねなく食事を楽しんでいる。

中には地方から単独上京して近所に下宿している学生や就職活動している青年たちもいて、困ったときには何かと大女将に相談しているようで、女将が親身になってそれに応じている姿は、周囲にほのぼのとした温かさを振りまいていた。

中には「ここに来ると田舎を思い出す」とか「おふくろに叱られているみたいだ」などと元気になって帰っていく青年もいて、それとなく話を聞いていた他の客たちが「がんばれよ!」と声をかけることも多々あった。そんな家族的な店だったから我々一家もよく通ったもので、「焼酎の蕎麦湯割」で締めくくると、帰宅しても体中がホカホカであった。

それから5年近く経った先日の5時半に、家内と二人で突然尋ねたところ最初に会ったころは中学生だった美人孫娘が店を手伝っていて、母親の美人3姉妹とご主人方も驚いて顔を出してくれたから、いつものメニューを注文し「大女将はお元気?」と家内がきくと、まだ早いからか上にいますので呼びますとのこと。

しばらくたって顔を出した大女将はいつも通り元気だったが、ご主人がこの秋肝臓がんで急きょ入院し先日亡くなったばかりだという。そういえば奥の厨房に姿が見えない。驚いてお悔やみ申し上げたが、体調を崩し検査したが既に手遅れだったといい、女将は「主人はおとなしいので今まで私が取り仕切ってきたが、死なれてみるとその偉大さがわかった。“大黒柱を失う”という言葉の意味がよくわかった」と涙ぐんだ。今の2バイ4の箱もの住居に慣れた若者には「大黒柱」の意味さえ分からないだろうが…

葬儀には500人を超える人たちが参集してくれたそうで、中には見ず知らずの方から「朝、出勤時に店の前を掃除しているご主人にあいさつされ、気をつけて行ってらっしゃいといわれると一日気分がよかった」と言われ、主人の陰徳を思い知らされたそうで、あのご主人ならさもありなん、と思わされた。

我々家族もいい気分で店から出る時、ご主人は厨房からわざわざ外まで出てきて「ありがとうございました、お気をつけて」と言ってくれていたものであった。

家から少し離れているこの店で夕食とるときは≪2丁目の夕日≫に行こうと散歩を兼ねて通ったものだが、食事もそうだがそれ以上に心を癒されたからであった。

それはこの店には、今失われつつある日本文化の美点が凝縮していると感じたからであり、老夫婦と3組の若夫婦がいちずにそばをうち料理する姿とその孫たちとの家族関係が、昔の我々の親たち、古き良き時代の日本を思い出させてくれるからであった。

子は親の背中を見て育つという。躾の良い、気配りがきいた美人3姉妹とそれぞれのご主人たち、そしてその孫たちという大家族を束ねているものは、まさにおとなしく後ろに控えた“大黒柱”だったのである。

まだ49日前なので大女将は店に出ていなかったそうで、私らが不用意にも呼び出してしまったことが悔やまれたが、大女将はいつもと変わらず応対してくれたのでありがたかった。

帰り際我々夫婦は一家総出のお見送りを受けたが、大女将も大黒柱の49日が終わったら、いつもと変わらず笑顔で店を取り仕切ることだろう。それを多くのお客さんたちが期待している。

そんな、日本文化の結晶ともいうべき「2丁目の太陽」である大家族の店に、寂しさを紛らわせに来る地方出の下宿青年たちと、連れ合いを亡くした?老人老婦人たちとの、そばを通じた温かい関係がこの国の支えになっているのではないか?と思いつつ、はるか西東京の田舎まで帰ったのだが、帰宅しても≪蕎麦湯割≫のほのぼのとしたぬくもりがまだ残っていた。

今月は年越しそばで大賑わいになるだろうが、来年は早々から、悩める青年たちや、古き伴侶?を失って一人そばを食べる後期高齢者たちに対して大女将の元気な「人生相談?」が再開されることを期待している。

2丁目の太陽、その店の名は「そば処・ほていや」さんである。